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第12話 思いがけない散歩

Autor: けもこ
last update Data de publicação: 2026-09-17 19:00:53

この家へ来て一週間がたった。朝食を終えた紗英は、広いリビングの壁一面を占める窓のそばに立っていた。

眼下のビルの間に、大きな公園が見える。

木々に囲まれた道を歩く人影が、小さく見えた。

あれは、犬を連れた人? 黄色い帽子をかぶった子どもたちの列。その脇を、黒っぽい服の人影が足早に通り過ぎていく。

あそこなら、土や葉の匂いがするだろうか。

花壇には、何が植えられているのだろう。

「何か見えるんですか」

背後から声をかけられ、紗英は振り返った。

怜司が、片手にコーヒーカップを持って立っていた。

今日はまだ出かけないらしく、ネクタイを締めていない。

シャツの襟元が少し開き、整えられていない髪がいつもより近づきやすい印象を与える。

もっとも、それだけで軽い口調で声をかけられるほど、親しくなったわけではない。

「……公園を」

怜司は窓の外へ目を向けると、何も言わず、そのままキッチンのコーヒーマシンへと向かう。<

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    エレベーターを降りた紗英は、目の前に広がる空間を見て足を止めた。正面の大きな窓から、都心の街並みが見渡せる。磨かれた床に午後の日差しが落ち、その先には、ホテルのラウンジのような広いリビングが続いていた。もちろん、受付もなければ、人の姿もない。「……ここから、もうお部屋なんですか?」先を歩いていた怜司が振り返った。「この階はすべて、私の住まいです」すべて。紗英は、思わず左右を見回した。都心の一等地に建つタワーマンション。そのワンフロアを、一人で使っているという。雅人と暮らしたマンションも、紗英にとっては十分に贅沢な住まいだった。けれど、ここは広さも、窓から見える景色も、何もかもが違った。「都内では、ほとんどここで過ごしています。仕事場にも近いので」怜司は、それがこの家を選んだ唯一の理由であるかのように言うと、再び歩き出した。紗英は、慌ててその背中を追った。あの日、差し出されたペンで婚姻届に名前を書いた。そのあとに受けた説明や、必要だと言われてそろえた書類のことは、ひどく遠い出来事のように思える。そして数日後の今日、紗英は荷物とともに、この家へやってきた。「こちらを使ってください」廊下の途中で、怜司が扉を開けた。大きなベッドと、小さなソファ。 窓際には机があり、奥には専用の浴室まで備わっていた。先に運び込まれた自分の荷物が、壁際にまとまって置かれている。「収納は奥です。足りないものがあれば、担当者に伝えてください」「……貴方のお部屋は?」怜司の視線が、紗英へ向いた。口にしてから、聞き方を間違えた気がした。「いえ、そういう意味ではなくて」「どういう意味です?」……どういう意味って

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    不動産屋の建物の前に貼り出されている物件を眺めながら、紗英は思わずため息をついていた。そもそも、この地域は都心に近く交通の便が良い上に人気がある。同じエリアで住める場所を探そうとすると、恐ろしく家賃が高い。かといって、家賃の安い地方へ引っ越せば、フリーでフラワーデザインの仕事を受けるのも難しくなる。いっそ、どこか遠くへ引っ越して、花屋にでも就職するべきか。だったら先にすることは職探しかもしれない。貼られた物件のガラスの向こうから、うなだれている自分を見つめている不動産屋の受付の女性が見えた。ここまで来たけれど、中に入って話をする元気は出なかった。部屋に戻ろうと振り返ると、背後に人が立っていて、ぶつかりそうになった。「あ、すみません」横に避けようと体をずらすと、目の前の男性の足も同じように動く。紗英は眉間に皺を寄せた。これは、最近流行りの“ぶつかりオジサン”とかいう迷惑行為なのだろうか。ついていない時にはとことんついていないらしい。小さく息を吐いて、顔を上げて睨みつけた時、目の前の男性がオジサンというにはいささか若いということに気づく。そして、彼をどこかで見たような気がした。「すみませんが、どいてもらえますか」あえてキツイ口調でそう言うと、相手に鋭い視線を向けた。しかし、目の前の男は、そんなことなどまるで気にした様子もなく自分の前に立っている。「あの!――」「水城紗英さんですよね」低い声で唐突に自分の名前を告げられ、胸の奥がひやりと冷えて、強気に出ていた気持ちが一気に萎む。また、雅人の関係の誰かなのだろうか。今度はなんなのだろう。弁護士? 警察?見覚えがあると思った。目の前の男は、雅人の葬儀の日に会場の入り口付近から、惨めに雨に打たれていた自分を見ていた人物だ。自分が身に覚えのない罪で社会的信用をすべて奪われるという、最悪のシナリオが頭に浮かび、血の気が引く。「ど……どちらさまですか」できれば自分が怯えているようには、見せたくなかった。弱気になればそこを突かれる。雅人に出会う前は、そんな風に肩に力を入れて生きていた。それなのに、どこで間違えたんだろう。一瞬、そんな後悔が胸に広がる。一呼吸おいて目の前の男が口を開いた。「水城紗英さん。俺は、ヴァレストラの副社長をしている高槻怜司です。雅人の兄です」

  • 夫の葬儀で、私は愛人にされた ――すべてを奪われた私を救ったのは、亡夫の兄でした ――   第8話 失った未来

    紗英は、ダイニングテーブルに置いたノートパソコンの画面を、じっと見つめていた。表示されているのは、自分の仕事名義で使っている口座の入出金履歴。スクロールするたび、見覚えのない数字が並ぶ。一千万円。二千万円。それより少ない金額も含めれば、直近だけで何度も大きな入金と出金が繰り返されている。入金元には、ヴァレストラ・ホスピタリティ・グループの関連会社名。その数日後には、別の法人へほぼ同額が送金されていた。紗英は、画面の数字を何度見直しても意味を理解できなかった。「なんなのよ、これ……」呟いた声は、自分のものではないように聞こえた。この口座を作ったのは、雅人と結婚する少し前だった。それまでもフリーランスとして仕事はしていたが、本格的に事業として活動していくなら、仕事専用の口座を持った方がいいと勧めたのは雅人だった。会計処理も、税務も、専門家に任せた方が安心だから。そう言って、自分の知り合いだという会計事務所まで紹介してくれた。当時の紗英には、それがありがたかった。仕事が増え始め、請求書や経費の管理だけでも手いっぱいだったからだ。「数字は専門家に任せて、自分は花の仕事に集中すればいい」雅人は、そう言ってくれた。そして紗英も、それを信じた。パソコンの画面を見つめていると、二年前のことが蘇ってきた。結婚をする少し前。紗英は、フラワーデザインの国際コンペティションで賞を取った。学生時代から何度も写真集を眺めていた、フランスの老舗デザイン会社。そして、その会社から、二年間の契約を結ばないかという打診が届いた。最初にメールを見たとき、歓喜の叫びをあげて何度も読み返した。自分の名前が、本当にそこに書かれているのか信じられなかった。フリーランスのデザイナーとして生きていくなら、これ以上ないほど大きな機会だった。海外で経験を積める。著名なホテルやブランドの装花に携われる。二年後に日本へ戻ったとしても、その実績は大きな看板になるに違いない。行きたかった。当然だった。そして、自分を応援してくれる雅人も同じだけ喜んでくれる、と思っていた。しかし、その話をしたとき、雅人は長い間黙っていた。そして、困ったように笑った。『二年も離れるのか』『ずっと向こうにいるわけじゃないわよ。休みが取れれば帰ってくるし、雅人さんだってフランスに

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